atarashism@blog 新逹也の表現世界

藍の空画|聖天の宇宙|アミニズム・ヤオヨロズ・スピリテュアル

令和三年 年頭の辞 今一度、写真家として生き抜く覚悟!

 

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シリース amaneより

アシスタント時代から数えると、早くも40年になろうとする職業カメラマン生活。

この間、様々な紆余曲折があったものの、何とか今日までたどり着くことができました。

 

これはひとえに、これまで僕に携わってくださった方々のお陰と、心より感謝申し上げます。

 

にも関わらず、この10年あまりは、鬱、引きこもりを繰り返し、大切なクライアントさんの信頼・信用をことごとく失ってしまい、僕に声をかけてくださった本当に多くの方々に御迷惑をおかけいたしましたこと、改めてお詫びいたします。

当初は皆さん心配してくださるものの、それが徐々に失意となり、やがては失望・断絶という経緯を辿ることが常でした。

 

更にこの一年は、新型コロナウイルス感染症が席巻、ほそぼそと繋がっていたイベント撮影すら、中止となる有様になお、追い打ちをかけるように、昨夏には最愛の母を亡くしたことが引き金となり、再び気力の完全喪失、暗い穴蔵の片隅へと一人こもってしまいました。

 

その結果、せっかく大切に撮り進めていた冒頭写真の「amane」シリーズも頓挫、毎回全身全霊で撮影に臨んでくれたモデルさんに対して、言い尽くせないほどの失望感を与えてしまうことになりました。

この「amane」撮影プロジェクトは、奥武蔵の渓流や山を舞台にしたファンタジー作品として、カメラマンとモデルの双方が互いに表現者としてのイーブンな立場で、毎回話し合いと試行錯誤を繰り返しながら撮り進めてきたものです。

 

そんな大切に温めてきたプロジェクトを、一方的に頓挫させてしまうという行為。それは写真家として犯してはいけないこと。職業人としてとても恥ずべきことと、今は深く反省し、気付けばとても深い喪失感を味わっている自分がおりました。

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昨年11月、母の百か日を機会に、祭壇を片し、位牌を仏壇に収めることで、気持ちに幾分余裕も生まれ、心の中に少しづつ希望の光が輝き始めてまいりました。

 

そうなるとようやくカメラを持ち出して、写真を撮ろう!という気持ちが湧いてきたのです。まるでリハビリのように、僕は身近な被写体にレンズを向け、少しづつ写真を撮りはめました。

 

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12月に入り、フィールドへも撮影に行けるようになりました。


そこで写真を撮るということが、こんなにもワクワクし、血騒ぐことなのだと、およそ半年ぶりに実感しました。

僕にとって写真を撮ること、それは生きること、そのものなのだと、再び気付くことができたのです。

 

僕が誰からの依頼も受けず、純粋に撮りたい写真とは何かを、仕事も無く、空っぽの状態で考えた場合、やはりフィールドでの写真に尽きるのだと改めて思い起こすに至ったのです。

 

人も自然も、同じスタンスで撮ること。目に見えない何かを写し込みたい、魂が揺さぶられる、何かを。

 

もう少し具体的に言えば、その何かとは、人や自然からほとばしる、Energy、Elos、そしてSpiritなのだと、思い至ることができるのです。

 

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これまで人に対して、繰り返し幾度も、何人も傷つけてきた僕が、性懲りもなく、再び人を撮りたいなどと、とてもおこがましいことなのは重々承知の上、それでもなお、僕は撮りたいと思う被写体に対して、恥も外聞も無く(失うものの大半を失ってしまった今だからこそ)撮影するでしょう。


それが僕にとっての生きるということだから。

 

天から与えられたこの命、あと何年持つかわからないけれど、命尽きるまで、命全うするまで、僕は表現者として、写真家として、写真を撮り続ける覚悟です。

 

そのためには、もう、何ものからも逃げたり、隠れたり、投げ出したり、けっしてしないと、前に向かうと、心に決めたのです。

 

                     令和三年元旦  新逹也


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高麗山聖天院大晦日のご来光

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高麗山聖天院大晦日のご来光
令和2年、大晦日の日の出は、
自宅から徒歩3分の聖天院本堂から。
ここからの眺めはとても素晴らしいです。
東京スカイツリーと富士山のどちらも望むことができ、ふるさと・高麗郷を一望するには最高のビューポイントだなぁと。
開門前ながら特別に許可を得ている身としては、
ほんとうにありがたい限りです。
今年は様々なものを失った年でした。
物理的にも、精神的にも・・・
悲しみ、嘆き、喪失感・・・
けれど、反面、そういう体験が新たな気付きともなった年でした。
それらがそのまま自身の表現世界への反動ともなり、今は、以前にも増して創作意欲が湧き上がっているのです。60過ぎてなお、自分に伸びしろを感じているのですから、全身全霊で臨んだなら、とてつもない力を発揮するものなのだと、、、確かにそう感じる今日このごろなのです。
今年、僕と関わってくださった、数少ない皆さん。
本当にありがとう。
心から感謝いたします。
そして、皆さんの前途が洋々でありますよう、祈っています。
来年は僕自身、もう一歩先を目指す所存です。
どうぞ、ご自愛くださいますように。
では、皆さん、今一度、
ありがとう😀😍😊


 
 
 
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名栗川源流を行く

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名栗川源流

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有間川の大滝
飯能市の名栗川(入間川)上流の結氷です。
このところの寒波の影響で例年より進行が早そうです。
年があけると雪が付着していることが多く、
まっさらな氷のみというのは美しさもひとしおです。
一つ一つの塊がいろんな顔にも見えて、眺めていて飽きません。
撮影地:名栗川支流・有間川、標高500m

富士山麓周遊

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山中湖畔
喪が開けたことだし、たまにはどこか出かけようってことで、
カミさんと二人、富士山麓周遊に行って来た。
どうせなら母ちゃんも連れて行こうって事になり、
遺影も一緒に連れてった。
20年間リウマチで苦しんだ母ちゃん。
出かけるといえば、病院と買い物くらい。
せめて送り迎えの車中、
少しでも周りの景色を見てほしいものだから、
わざと遠回りしたりして。。。
富士山を目の前に、カミさんと二人して、
「元気なときに連れてきてあげたかったねぇ」
ってしみじみ。
母を称える歌はいろいろあれど、
どれもいいけれど・・・
やっぱり、
自分の心に一番染み入る歌は
窪田聡作詞・作曲の「かあさんの歌」だろうか
毎冬、あかぎれでガサガサの手を冷たい井戸水に浸しながら洗い物をする姿、
昼間、工場に出てから夕方、畑に鍬を打ち下ろす姿、
辛いこともいっぱいあっただろうけれど、
いつも気丈で、笑顔を絶やさなかった・・・
だから、思い出すのは、楽しかったこと、
一緒に笑いあった、たくさんの時間だと、今は実感!
『ありがとう』

母の埋葬

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百か日
母が旅立って100日め、
自宅前の墓地に遺骨を埋葬しました。
木綿のサラシで作った袋に包んで、遺言通り、40年前に亡くなった夫(私の父)の隣に埋めたのです。
父の時代は土葬でしたので、母の遺骨をその傍らに埋めることで、一先ず息子としての区切りをつけることにしました。
祭壇を片し、位牌を仏壇に納め、これからは祖父母や父や弟とともに、我が家の先祖として、アタラシの行く末を見守ってもらうことになります。
家族が家族として暮らせる時間はとても限られているものですね。
僕が少年だった遥かな頃、
祖父母、両親、三人兄弟と、7人家族だったものが、既に5人欠け、存命しているのは僕と次男だけとなりました。
もちろんそれぞれが新しい家族ユニットを構成し、世代を繋いでいる訳で、それはそれでとても素敵なことなんだすけどね😔

明治の肖像

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明治32年(1899年)阿諏訪(現毛呂山町)生まれ
父親が天性の山師で、祖母が生まれて間も無く、
北海道へ金鉱を求めて野垂れ死。
(私の山師的要因は曽祖父譲りのきらいがあるかも)

 

やむなく祖母は3才で高麗の親戚にあずけられることに。

そこでの暮らしは幼子にとっては、それはそれは厳しいものだったと聞いている。

子守、水汲み、風呂焚き、洗濯、繭取り・・・
まるで使用人ごとくの扱い。

 

親戚の実子は実業学校(旧制中学)を出たにも関わらず、
あづけ子の祖母は尋常小学校さへままならない日々だった。

 

それでも祖母は腐らず一生懸命生きた。。。。

 

18才で私の祖父と知り合い、
同郷とはいえ、当時では珍しかろう恋愛結婚だという。

 

やがて9人の子を産み、7人が育てあげた。
紆余曲折、波乱に満ちた人生だったろう。
けれど、多くの人々に愛され、頼りにされ、
幾多の困難を乗り越えた人生だったとはいえ、
記憶の中の祖母は幸せな生涯だった。

 

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特に晩年になって二度の骨折手術は印象深い。
股関節、大腿骨と、致命的な部位だったが、
それでもその都度、厳しいリハビリにも耐え、
再び歩き始めた姿は忘れられない。

 

2000年、6月13日、永眠。

 

その前年、100才を迎えた祖母に、
数奇なご縁からネイティブインディアンの活動家、
デニス・バンクス氏が訪ねてくれた。

 

伝統的な歌とドラムを祖母に披露、
氏があと2年で、3世紀に渡って生きることになるね。
と言ってくれたことが忘れられない。

 

 

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※2点めの祖母と愛犬のカットは
「おんな 立ち止まらない女性たち 1945-2010」
朝日新聞出版・2010年刊)にも収められている。

「高麗の臥竜松 こまのがりょうまつ(黒松)」埼玉県日高市 推定樹齢400年

 

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臥竜松とは、龍がまるで伏せているような姿に見えるところからその名がついた。
拙宅の主、守り神として庭の中央に鎮座している。 

 

推定400年の根拠は、

1899年(明治32年)生まれの祖母が18歳でこの家に嫁いできたときに
樹齢300年経っていると曽祖母から伝えられたことに由来する。
それからすでに100年の歳月が流れており、故に400年と推測している次第。

 

今ひとつ、拙宅の墓地に現存する最も古い墓石の元号も400年ほど前のもの。
当時、自宅のあたりには前の記事で紹介した聖天院の坊があったらしい。

 

その坊の名は梅仙坊(梅の仙人か・・・)

 

確かに暮石の戒名にも「梅」の文字が使われている。
ちなみに拙宅の屋号は「梅本」
この辺り、未だに屋号で呼び合う習慣が残っている。

 

僕の苗字『新(あたらし)は1300年あまり前、
この周辺に移り住んだ高句麗からの渡来人ゆかりの苗字と言われている。

 

何れにしても400年前の暮石の施主名にもしっかり新何某と刻印されている・・・

 

さて、推定樹齢400年といえば氏神である高麗神社境内のエドヒガンザクラ、
高麗家住宅脇のシダレザクラと同時期のものと言える。

 

この松、かれこれ20年余り、自分で手入れしている。
とは言っても愚図な者故、したりしなかったり・・・
おかげでだいぶ小枝を枯らしたりもしているのだが、
主幹はすこぶる元気にみえる。

 

実は今年も未だ芽かきをし損じている。
早くも6月。まぁなんとかなるだろう。

 

祖母は足掛け3世紀の生存を目前に2000年6月、
101歳の天寿を全うした。
最期までかくしゃくとした人だった。

 

「DESTINY 鎌倉ものがたり」を観てきました

「DESTINY 鎌倉ものがたり」妻と観てきました。

先年来の予告編を見てからずっと楽しみにしていた映画です。

http://eiga.k-img.com/images/movie/86436/photo/8d4ad554a766fa50.jpg?1506300647     (C)2017「DESTINY 鎌倉ものがたり」製作委員会  DESTINY 鎌倉ものがたり : 場面カット - 映画.com

       

黄泉の国から愛する妻を連れ戻す! 

その結末もさることながら、魔ものや妖怪、幽霊など、
人間界に寄り添った存在が、
ともすれば感覚として希薄になりがちな現代において、
改めて彷彿させてくれる場面が多々あり、
本来、目に見えない存在との折り合いをつけながら生きてきた、
私たち日本人の日常的原初を顧みるひとつの機会となりました。

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師走の大安吉日 高麗神社お宮参り

師走の30日、高麗神社は新年を迎える準備で大わらわ。

なれど本日は大安吉日、ご参拝に訪れる人々が後を絶ちません。

凜とした大気は今年一番とも思える日本晴れ、

鳥居に添えられた真新しいサカキが新年が近いことを物語っています。f:id:atarashism:20180107161054j:plain

 

その麗しき良き日の本日は、お宮参りの撮影、

氏子としてではなく、今日は仕事として訪れた次第です。

拝殿には「遍照」の文字が輝いています。

遍く照らす光・・・

この言葉は、神道でも仏教でも、修験道でも基幹となる、ありがたきことば。

生後間もない赤ちゃんにも、等しく光が届きますように。。。

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