鶴ヶ島市高倉 飯盛川・せせらぎの水辺へ
鶴ヶ島市高倉を流れる飯盛川を訪れた。
この川は、同地区の池尻池(写真)、雷電池に水源を発するとても小さな川だ。
真っ先に私の大好きな歌、童謡「春の小川」の詩が浮かんできた。
水草が繁茂し、トンボが飛びかい、水鳥たちが集まり、せせらぎが響き、
心地よい風が頬をかすめ・・・ほんの短いエリアではあったが、
飯盛川は一瞬で私の心を魅了した。
かつては水田用の水路として貴重な役割を担っていたものの、
土地改良によって、水田が畑に転用、
水路は役割を終え、行き場を失っていたかのように察する。
そんな瀕死の川が昨年4月「せせらぎの水辺」として再生された。
それから1年4ヶ月あまり。
ご覧のように夏草の生い茂る見事な小川に変身を遂げてた。
川の途中には珍しい竹組の橋がかかっていた。
近隣の子どもたちにとってみれば、ちょっとしたスリル感と、
渡る楽しさを感じるであろう、ユニークさと、妙になつかしさを感じる。
私がこの川を訪れた理由だが、
現在、私の地元、日高市では、高麗川のまるごと再生プロジェクトなるものが進行している。
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川沿いの遊歩道造成が主たる内容なのだが、
地域住民置き去りの行政主体の企画に対し、市民の中に不安と憤りが募りつつある。
そこで、先ずは遊歩道予定地の川沿いを明日(8/9)歩いてみようということになった。
そんなことから、私は、高麗川を歩く前に、身近な川で再生事業に成功した、
飯盛川を参考としてぜひ見ておきたかったのだ。
川岸というか、傍らの原っぱには一頭のヤギが放牧、草をはんでいた。
ヤギによる除草作戦だという。なんと牧歌的な風情であろうか。
人なつこく、愛嬌のあるヤギと、私は実に友好的な時間を共有することができた。
川沿いの道は、木製チップが敷き詰められていた。
靴裏に柔らかく木の感触が伝わってくる。
もし裸足で歩いたなら、さぞかし気持ちよさそうだ。
(帰宅後、写真を見て初めて気付いても後の祭り)
飯盛川と、高麗川では工事の内容はもとより、
そのコンセプトに大きな違いがある。
飯盛川の場合、機能を失ってしまった川を、地域住民と行政とが一体となって再生、
未来へ引き継ぐべく財産として概ね人々に歓迎されている。
一方、高麗川の場合だが、目的は観光客の誘導、行政主体の企画、
コンクリート多用の護岸造成・・・等々、
まるでかつての高度成長期となんら変わらない発想に思える。
何より、高麗川は瀕死の状態でもないし、
行き場を失ってもいないではないか。
更には同じ年に市制施行している。
言わば、お隣さん同志の同期生なのだが、
行政力や、市民力は大きな隔たりがあるように思う。
今回、飯盛川と高麗川を対比させることにより、
行政の在り方の違いをまざまざと見た気がした。
すなわち、行政がどちらの方角を向いているか。
その方向が、見えたというべきだろうか。
高倉の獅子舞 高倉日枝神社 毎年11月2日3日開催
脚折雨乞 雷電池 4年に一度の祭り 次回は2016年8月
【鶴ヶ島市高倉】
Date 2015/8/8
Dist 21.32km
Time 1:13.
Ave 17.5km/h
Max 45.9km/h
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