正直、ふたご座流星群の極大を狙って撮ったのですが、写りませんでした。目視では幾つか見られたのですが、レンズが暗かったせいでしょうか。
それにいたしましても、夜空のなんと明るいことでしょう。少年時代の闇夜がなつかしい。その頃、夜の寺に近づくなど思いもよらないことでした。
末弟が旅立ってから早くも1年。その翌日、わが家に居着いた子猫が、見事に成長しました。昼でも光る目は、怪しい妖気を発しているようです。
生後ひと月あまりとおぼしき子猫が保護され、縁あってうちにやってきた日、その時点ではまだ弟の最期を誰も知らないままでした。子猫は野良だったにもかかわらず、直ぐに母の膝で丸くなり、安心したようにくつろぐのでした。不思議な猫もいたものだと思いつつ、1年半前に行方知れずになってしまったトラ猫と比べるのでした。
末弟の孤独死を知ったのはその翌日のこと。しばらくはその事実を母に告げることができませんでした。思えばどれほど子猫が死の悲しみを和らげてくれたことでしょう。
今でも私たち家族は末弟が自分の身代わりとして、母のために遣いによこしたのだと信じているのです。
500px.com 写真は以前に撮影した、奥武蔵グリーンラインでの雪と光が織りなすコラボレーション
2017年、平成29年1月も既に二十日が過ぎた。
各地で降雪被害が報道されている。
本格化した高齢化時代。
限界集落においての除雪、雪下ろしは、まさに命がけだ。
また、高齢ドライバーによるトラブルも相次いでいる。
オートマチックによる操作ミス、判断ミスが多いようだ。
今時、マニュアルトランスファーを積んだ車は限られるが、
少なくとも、バックギアとローギアの入れ間違いからくる事故は、回避されるように感じるのだが。
人は、便利さをひとつ取り入れるごとに、人としての機能をひとつ失うのだ。
ベイシックに限る。
米国ではいよいよ新しい大統領が就任する。
それによって世界がどのような方向に動いてゆくのか。
しっかり見極めなければならない。
いくら何も考えなくて便利だからといって、
様々な判断能力だけは失ってはならないのだ。
諸事情により新年のご挨拶は控えさせて頂きますが、昨日1月1日は、ほんとうに暖かい日でしたね。みなさん、どのように過ごされたでしょうか。
私は神社へ参拝は控えましたが、自宅のすぐ近くにある高麗山聖天院勝楽寺という、拙宅の菩提寺にお参りかたがた、そこから日の出を望みました。
その後、自宅前の墓前に向かい、ご先祖様、そして、御仏となった弟にお参りしました。
今年はいよいよ、と申しますか、とうとうと申しますか、私も還暦。
生まれ変わったつもりで、心機一転、正直に生きたいと思います。
これまで、ほんとうに沢山の方々にご迷惑を掛け、期待を裏切って来ました。
その方々に、どのように応えて行くかが、今後の人生の課題です。
その先に、新たな生きる力が湧いて来ることに期待を込めて。
本日、末弟・敏行の七七日(49日)供養、無事に済ますことができました。
生前、お世話になった皆さまに改めて御礼申し上げます。
11月4日、突然永眠した弟。
ひとり暮らし故、発見が遅れ、さぞ苦しく、寂しい思いをしたことだろうね。
でもやっと自宅に戻ることができたね。
これからは自宅の前から、いつまでも生家を見守っておくれ。
もっとたくさん、気に掛けてあげるべきだったね。
もっと強く、田舎へ戻ることを勧めるべきだったね。
敏が亡くなった翌日、
わが家に真っ黒い子猫がやってきたよ。
近所に暮らす叔母が野良猫を見かねて捕獲(親子猫4匹の中の1匹)したのだけれど、
自分は歳だからもう世話がしんどいって、
うちへ連れてきたんだ。
そしたら、野良だから、初めは少し警戒もしたけれど、
驚いたことに直ぐに家族になついてさ、
殊に母にはべったりで、膝の上でぐっすり眠り安心しきっている姿は、
半年前に行方知れずとなった愛猫そのままの構図だよ。
きっと、子猫は敏が自分の身代わりに贈ってくれたのだね。
偶然にしては、あまりに出来すぎていて、そう思わずにいられない。
おかげで敏が亡くなった悲しみが、ずいぶんと子猫によって癒されている。
母は子猫を敏だと思って、大切にしているよ。
そうそう、昨日、初めて庭へ放したんだ。少しづつ、外歩きできるようにね。
百か日には、きっとお墓へも連れて行けると思うよ。
楽しみにしていておくれ。
http://atarashism.wixsite.com/photography
以後、何とぞ宜しくお願い申し上げます。