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奥武蔵に生きる写真家の表現と日常

新達也 写真展 「荒川源流・水の回廊」

この夏、キヤノンギャラリーでの写真展ですが、大阪梅田展の日程に変更がありましたのでお知らせいたします。まだ、先のことではありますが、どうぞお近くへおいでの際にはご覧くださいませ。(画像をクリックすると大きなサイズでご覧いただけます)

 

■2006.6.26-7.1 キヤノンギャラリー銀座

■2006.8.7-8.18 キヤノンギャラリー福岡

■2006.8.31-9.6 キヤノンギャラリー梅田

 

■荒川源流の概念

 ここでいう荒川とは、東京・埼玉をまたぎ、東京湾へと流れる総延長 173km、 流域人口1.000万人を数える日本有数の河川のことを指します。またその源流域は、秩父多摩甲斐国立公園に属しています。

 埼玉県のおよそ1/3の面積を占める支流を含めた源流域から、さらにエリアを最深部に絞って、甲武信岳に源を発する真ノ沢、そしてその下流にあたる入川(荒川本流)とその周辺の森を撮影範囲としています。周囲を取り巻く主だった山は10座、そこから主な沢が5本、小さいものを入れると無数の沢が流れています。森林の多くはかつて国の政策として大々的に伐採されてしまいましたが、これら荒川源流の核心部といえる地域には未だ原始の様相を彷彿させる場所が多々あります。

 

 かつてニホンオオカミが数多く生息していたという秩父山地。日本列島の中央部、温暖多湿な太平洋性気候に恵まれ、標高2.400mを超えるにもかかわらず周囲の山々は稜線までシラビソ、コメツガなどの針葉樹林に覆われています。また、それより低域にはブナ、ダケカンバなどの落葉広葉樹林帯が広がり、そして渓流を取り巻くカツラ、シオジ、サワグルミなど多様性に富んだ自然界が展開しています。

 この地域はアプローチが長い(核心部までは徒歩で往復3日以上)ということ、登山道や指導標の整備があまりされていないということ、そして一見派手さが無く、地味な印象を受ける山域であることから、訪れる人はまばらです。しかし、21世紀、清涼な水とそれを育む豊かな森林の重要性は益々高まるばかりです。

 

■作品概要

 荒川源流に通うようになって8年めになります。その間、沢歩きの技法などを身につけ、徐々に核心部へと近づくことができるようになりました。「水と森」を基本テーマとするようになったのも荒川源流がベースとして存在したからだと思っています。「灯台下暗し」ではありませんが、日本のあちこちを旅しながら探し求めていた自分にとっての理想の撮影対象。それが荒川源流でした。県内に暮らしながら以前は気づかなかったもの…川の様相や、森林の形態、そしてそれらが発するエナジーなど、都心からもそう遠くない地域にもかかわらず、濃密な芳香を放っているのです。今回はその中から「水のエナジー」に主眼を置いてまとめてみました。

 

 荒川源流を流れ出した水は関東平野を一気に駆け抜け、東京湾へと注ぎます。流域人口1.000万人は、利根川に次ぐ日本第二位の人口です。それだけ多くの人々の命を養うかけがえの無い水が今、どれほど危機に脅かされていることでしょう。淡水としての清涼な水は私たち人間にとって欠かすことのできないものです。それら水の持つ力に畏れ、清らかさに感謝できたなら、そして、私たち現代人が再び森や、水や、足下で生きる小さな生命や、さらには日常的な微かな自然現象に対してまでも、心の底から「畏敬」の念を持つことができたなら、環境破壊や人々の争い事など、この世界から消えてゆくに違いありません。自然界は不思議や驚異に満ちあふれています。そしてそれは常に私たちの足もとに広がっています。可能な限り私欲を無にし、それらと真摯に向き合い続けることによって、いつかきっと美しい地球がよみがえると信じることが、私を写真行為に駆り立てています。

 荒川源流部は、今まだ体系的な写真として発表されたことは無いと思います。風景写真を撮って発表することは、そのエリアを公表することでもあり、場所の知名度が高くなるにつけ、開発とも無縁ではなくなります。それゆえ、写真家としてのスタンス(在り方)が更に重要となります。よりいっそう繊細で慎重な発表行為が求められるでしょう。

 これらの作品を通して、たとえ一人でも二人でも、心底「自然との共生理念」を感じていただけたなら、撮影者として、これ以上の冥利はありません。