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奥武蔵に生きる写真家の表現と日常

荒川のハクチョウ(6)・・・ハクチョウたちに未来はあるのか?

先週痛めた腰の状態が芳しくない。なので、今日は1枚も写真を撮らなかった。

ウツの上、腰痛では踏んだり蹴ったり・・・良いとこ無しじゃないか!

今週末はアスビーのダンス公演が控えている。この調子で、果たしてしっかり撮影できるのだろうか・・・

そんな折、体調を心配したヤス・サチ・アキちゃんに勧められ、明日、ハリ治療に行くことにした。

体にハリを刺すなんて・・・何を隠そう、注射大嫌いなんだからな、僕は(;.;)

 

さて、昨日撮影した荒川のハクチョウをアップしよう。

 

7時過ぎ、越冬地の車止めに着いた。

この日、ヤケにハクチョウたちの声が騒々しい。

はやる気持ちを抑えて、葦原の中、一本道を川辺へと急ぐ。

着いたとたんハクチョウたちが間近に飛び込んで来る。

100羽前後はいるだろうか。

先着の男性が食パンを与えていた。

それを求めて、ハクチョウたちは騒いでいたのだ。

 

ハクチョウは元々、警戒心が強い動物なのだ。

また、かしこい生き物でもある。

警戒しながらもエサ欲しさに、人間の近くにまでやってくる。

その姿はアヒルのような愛らしさだが、あくまでも野生動物なのだ。

だから、その関係性を勘違いしてはいけない。

感情的にならず、冷静に見つめる視線が必要だ。

 

擬人化しやすい生き物ではあるが、なるべく擬人的な表現は避けたい。

 

特に、 あの子 とか、 この子 とか、 **ちゃん とか・・・

勝手にペットのような言い回しをするのは止めてくれ。

 

しかし、今日のハクチョウたちはどうだろう。

目の前にエサ欲しさに、飢えた鳥たちがいる。

その表情は、まるでエサをねだる我が家の駄犬と同じではないか。

 

いやいや、混同してはいけないのだ。勘違いしては、だめなのだ。

 

野生動物は、人間を警戒し、逃げるか、適度な距離を保つか、

あるいは逆にまったく人を恐れることなく無視するか・・・

何れかだろう。それが普通だ。

 

しかし、今目の前にいる鳥たちは、隣人が手に持つポリ袋に反応し、

早くパンをくれ!っとせがんでいる。要求しているのだ。

 

この関係性をどう解釈するのが妥当だろうか。

 

無視を決め込むか、それともエサを与えることに走るのか。

いったい100羽のハクチョウを満足させるパンの量とはどの程度なのか。

たとえそれが全てコハクチョウだとしてもの話しだ。

そもそも食パンがハクチョウにとって無害とは限らない。

 

ついでに言うと、1月の半ばには全く見られなかったオナガガモたちが、

ハクチョウの何倍も来ているではないか。

そうこなくっちゃ。

ハクチョウとカモたちが混然してこそ、冬鳥の越冬地といえる。

ならば、カモたちの分もパンを用意しなければならなくなる・・・

 

*この記事の続きには当初鳥インフルエンザに対して懐疑的な文章を掲載していたが、やや感情的な部分が多く、事実を検証しないままの推測的記述な為、後日削除した。

鳥インフルエンザに対してはもっと勉強し、理解を深める必要を感じた。

 

果たして、このハクチョウたちに未来はあるのか!!!

ハクチョウの目に映るものは・・・

 

エサを貰えるかと思って、コハクチョウの家族が僕の近くまでやってきた。

しばらくこちらの様子を伺っていたが、やがて何も食糧を貰えないと解ると、

静かに目の前から離れて行った。

 

子連れのハクチョウは一段と警戒心が強い。

しかし、他の動物もそうなように、

ハクチョウの幼鳥も好奇心が強そうだ。

それをたしなめるのが親鳥の役目なのだが、

その子連れの家族が、自ら人間に近づく現象に逼迫したものを感じる。

しかも、僕とハクチョウたちは初見だろうに。

 

念のため、鳥たちに覚えられないように、いつも着衣を変え、

僕の姿を擦り込まれないようにしている。

通常は、逆に毎回同じ格好をして鳥たちに覚えられ、安心させるものだが、

こうも鳥たちとの距離感が詰まってしまうと、僕の方が離れたくなってしまうのだ。

 

野生界・自然界と本当の意味で共生するには、

互いに適度な距離を保つことが必要ではないだろうか。