雨の巾着田
朝からぐずついた天気だったが、夜眠れたので体調はまぁまぁ。
母校の高麗小学校の会議に出席した。
実はこの春から学校評議員なるものを引き受けることになり、その定例会議だった。
会議と言っても、学校の現況報告に対し、感想、意見を述べるといったもので、内容は緩やかなものだ。校長直轄のご意見番といったところか。PTA組織とはその生い立ちが違う。
会議終了後、せっかくだから学校脇の巾着田をちょっとだけ散策した。
むろん自宅からも近いのだが、最近は訪れる機会も少なくなったから。
高麗小学校は高麗川のほとりにある。この時期、水量は少ない。高麗川は少年時代から僕の遊び場だ。
学校脇にはあいあい橋という美しい木造のアーチ橋がある。橋は雨に濡れ、ひときわその美が際だっていた。
橋からはクヌギやケヤキの林越しに小学校(体育館)を望むことができる。
埼玉近隣の方はご存じの方も多いと思うが、巾着田は曼珠沙華の一大群生地として知られる。ハリエンジュ(ニセアカシア)の林床は今、曼珠沙華の葉で覆われている。
ハリエンジュは初夏になると香りの良い白い花を咲かせる。巾着田周囲に多いが、根は浅く、台風で良く倒れる。
曼珠沙華(ヒガンバナ)の葉は、秋、花が咲き終わったあと、伸びてくる。春になると葉は萎れ、夏には痕跡も無くなってしまう。そして、彼岸の頃、一斉に茎が伸びてくるのだ。
巾着田ではハリエンジュとともにクヌギも多く見かける。かつては椎茸のほだ木として定期的に伐採されていたと思われる。この付近でもそんな光景を目にしたことがあった。
高麗川を挟んだ高麗小学校の対岸には、高麗郷のシンボル、日和田山(305m)が優美な姿を見せる。山麓には旧石器時代から人々が暮らしていた。更に奈良時代には高句麗人を始め多くの渡来人たちが移り住んできた。そんな歴史と風光明媚な自然環境に見つめられ、高麗小学校はある。
久しぶりの巾着田散策で小学生時代を思い浮かべた。
高麗小学校の校歌はとても名曲だ。大好きな歌だ。
高麗郷という豊かな環境と文化、歴史をとても良く表現している。
今でも口ずさむと元気と勇気が湧いてくる。
詞も曲も良い。学校名が一度も出てこないのも、品格がある。
せっかくだから、歌詞を紹介しよう。
高麗小学校校歌 作詞 蔵原伸二郎 作曲 林 光
1 朝日ににおう 日和田山
緑がみなに 呼びかける
仲よしここに まゆ上げて
望みはるか 青空の
心を学ぼう おおらかに
2 さざ波ひびく 高麗川の
流れがみなに 呼びかける
仲よしここに かた組んで
水にうつる あの雲の
光をむねに いつまでも
3 豊かな文化 高麗郷の
歴史がみなに 呼びかける
仲よしここに 手をとって
校旗高く 立つところ
はげもうつねに はつらつと
僕の表現の原点は、高麗小学校と、巾着田、日和田山、そして高麗小学校校歌にあるのかも知れない。そんなことを考えながら、巾着田を後にした。
ところでソニーが14年振りに営業赤字だという。ソニーよ、あんたもか! まぁ、さもありなんか。しかも2,600億円。この数字がどの程度の額かは僕にはわからない。しかし、早急の固定経費削減措置として、ここでもやはり早期退職勧告、そして、派遣社員への首切りが始まった。自分たちの都合で要らなくなればポイってか。
海外に販路の大半を依存した企業はこう円高が進むと、売っても売っても利益が出ないのだという。どんなに素晴らしいものを作って、たくさん売ろうとも、誰も潤わない、報われない。そんな経済構造が果たして正常といえるのだろうか。
その前に、そんなに売らねばならない必要がいったいどこにあるの!従業員を養うためだなんて、言わせない。言えやしないよね。大義名分はもうまっぴらごめんだ。
それにしても、ユーロやドルに対して、日本円だけがつり上がっているのだという。判らん。何かが怪しい。
そろそろ、経済いっぺんどうの20世紀型の構造を脱し、21世紀、新しい世界システムをみんなで考えていかなければならない。既に様々な分野で各々活動している人たちもいるだろう。
アメリカ的資本主義は最早破綻したのだ。オバマ大統領の動向に注目しつつも、日本はもっと独自性を持った行動をとるべきだ。新しい世界システムは案外日本の過去にヒントがあるような気がする。