atarashism@blog 新逹也の表現世界

藍の空画|聖天の宇宙|アミニズム・ヤオヨロズ・スピリテュアル

心の病と共に 2

 ちょっと前になるが、先週の土曜日のスナップだ。

 自宅から最寄りの駅まで、徒歩で25分あまり。程よい散歩コースだ。

この日は天気が良く、気持ちも穏やかだったので、電車で川越の(仕事場)事務所まで行くことにした。

 自宅からほど近いところを流れる高麗川。子どもの頃からの遊び場だ。荒川水系の支流だが、かつて日本一の清流と謳われたこともあるほど。坂口安吾も自著の中で絶賛している。最近では寂しいほど水量が減っている。魚もめっきりいなくなった。そうそう、ここの場所より少し上流で、嶋田忠氏の名著「カワセミ 清流に飛ぶ」は撮影された。こんな場所で僕は生まれ育ち、そして今も暮らしている。

 

 高麗川のほとりで同級生に会った。最近自転車でのトレーニングを再開したとのこと。同級生の中では最も体を鍛えているかも知れない。健康第一。しみじみ思う。

 そもそも僕が「疲労性鬱病」がになったのはフィールドへ出なくなってからだと思う。舞台写真がメインの仕事なのだが、撮影後のデスクワークに日々忙殺され、お客さんへの納品をしなければという強迫観念からまったく仕事場を離れられなくなった。反面、画像処理の効率は日を追うごとに低下し、今年の7月、近親者の相次ぐ訃報をきっかけに、全く仕事が手に付かなくなってしまったのだ。日頃から適度に休日を設け、仕事から離れる機会を作っていれば、身も心も正常に保たれていたに違いない。

 

 駅へと続く道。緩やかなカーブが心地よい。

 

 通称ガタガタ橋。板張りの橋で、車や自転車で走るとガタガタと賑やかだ。静まりかえった夜など、足音さえも鳴り響く。以前は欄干すら無く、時々車が脱輪、うっかり川へ落ちる者もいた。

 

 駅周辺は住宅の開発が進んでいる。土地の規制を緩和したことで住宅が建てやすくなった。それにしても日本の人口は減っているというのに、マンションや住宅建設は後を絶たない。反面、かつての新興住宅街は今、老人の街となりつつある。

 

 駅前の再開発区域。小さな駅だが、再開発が始まってからこの状態になるまでに20年以上かかっている。いささかうんざりだ。どうせ開発されるのなら、さっさとやって欲しいものだが、どうやら地権者たちの様々な思惑が絡んでのことらしい。くだらない。ある意味、土地を個人の所有物にしてしまったことによる歪みが、世界を混乱へと導いている。持てる者と持てない者・・・この違いはいったい何なのか。共産主義という独裁政治はもはや破綻したが、昨今の世界経済は市場主義・資本主義の破綻も同時に物語っている。世界は今、新たな秩序を求めている。皆が心安らかに暮らせる秩序は無いものだろうか。この世界は、いったい誰のもの???

 

 八高線。今も昔も気動車だ。ディーゼルエンジンの音が独特な郷愁をそそる。ボックスシートが旅の気分を盛り上げる。単線のため、走行時間より、駅に止まっている時間のほうが長いのではと勘ぐってしまう。たまにはこの列車の乗って、群馬方面へゆっくり旅してみたい。関東平野秩父山地の狭間を走る八高線の車窓からの眺めはなかなかのものだ。

 

 こちらは川越線埼京線)。ここ高麗川駅から川越まではやはり単線だ。それでも電化されてからは(いつ頃だったか忘れた)遥かにスピードアップしたように思う。川越までは20分程度。電車のドアは押しボタンによる手動開閉だ。この辺り、ローカル色を醸し出す。高麗川駅から都心へ通勤している人は多い。

 

 川越駅周辺もマンション建設が進んでいる。この写真だけは当日撮影したものでは無いのだが、外階段が面白くて撮った。事務所のすぐ近く。

 

 ここが僕の事務所が入っているマンション。四階建てで、周囲は今のところ空間が確保されている。ここの三階に「高麗写真工房」はある。川越駅西口から正味徒歩7分。事務所のバルコニーからはかろうじて富士山を望むことができ、西側の窓からは奥武蔵、奥秩父の山並みが一望できる。(ただし、手前に高圧線の鉄塔やらテレビアンテナやらいろいろ視界に入るのだが)

 

 この日は素晴らしい夕焼けだった(らしい)気付いた時には既に遅く、ピークを過ぎていた。玄関前の通路から望んだ夕空だ。この空間にも何れ視界を遮るような高い建物ができるかもしれない。川越は都心へ出るにはとても便が良い。それだけに人気もあるようだ。来春からは朝ドラのロケ地ともなる。

 

 さてさて、ブログを更新するのも手間のかかるものだ。夜も更けてしまった。今夜も親子で川となって眠りにつこう。今週は高1の娘と同じ布団だ。中2の次女とローテーションで一緒に眠る。良い子どもたちに育ってくれたと思う。さぁ、睡眠薬はどうしようかな。効力が7時間ある。今から服用すると、朝起きられない。無理矢理起きると頭がくらくら、ふらふらによろけてしまうのだ。明日はまた病院へ行かねば。