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萬年写真家の表現と日常

新春大護摩供 高麗山聖天院


毎年1月3日は聖天院(埼玉県日高市)で新春大護摩供が行われるます。

ここ数年、欠かさず撮影しているものの、

なかなか納得のゆくものが撮れないでいます。

それでも、行けば必ず何かしら新しい出合いと発見があるもので、

頭の中ではすでに来年の撮影に向けて心馳せているのでした。

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高麗山聖天院の山門(風雷神門)

門の両脇、下手に雷神、上手に風神が鎮座している。

二階には非公開ながら、木像の羅漢様や仏像が何体も安置されている。

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本堂への石段

中門を越え阿弥陀堂を下手に見ながら進むと本堂への石段がある。

途中には踊り場があり、休みながら上る人が多い。

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本堂の周囲は廊下が一周

周り廊下伝いに本堂を一周。

ここからの眺望はなかなkのもの。

眼下に日高市・高麗郷を望み、遠く東京スカイツリー

富士山まで望むことができる。 

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秘仏歓喜天

聖天院の名の由来ともなっている秘仏歓喜天(聖天さま)が収められている逗子。

もちろんお目にかかったことなどない。

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檀家それぞれの先祖代々を祀る霊牌

本堂の奥、これらの霊牌は収められている。
勿論、我が家のものもある。

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本堂正面にある焼香炉

この日は風強く、本堂内部まで入ってきた。

一瞬風がやみ、お香の煙が真上に向かった。

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ご本尊・不動明王

けして大きなものではないが、

その威厳は十分だ。

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横田辨宥住職

住職とは幼馴染ということもあり、何かと便宜を図ってくれる、ありがたい存在だ。

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経文を流す

まるでアコーデオンを演奏するかのよう。
積み重ねられた膨大な経文が次々に読経とともに展開されてゆく。

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眼光・風貌

魂を込めた読経は鬼気迫るものがある。

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護摩焚の炎

ほんの僅かな種火から、徐々に徐々にと火が大きく、高くなって行く。

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護摩焚きの炎2


2m近く昇る炎。
この後いよいよ護摩お焚き上げが始まる。

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参列者によるお焼香が始まった

嫁ぎ先の先祖供養のため、毎年欠かさずにやってくるというご婦人。

たまたま終了後、話を聞くことができた。

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護摩お焚き上げ

事前に申し込まれた御札の袋が次々と炙られて行く。

これにより、御札に命が吹き込まれ、各々の祈願成就を果たすことになる。

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炎は静かに灰となる

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風の舞

風強く、本堂のひさしに吊り下げられた色とりどりの布が時折大きく揺れる。

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本堂全景

西から東へと吹く風に雲が行く。

よく見ると、実に様座な表情が見えている。

 

護摩供は毎年1月3日午前11時から執り行われる。
見学も自由とのこと。
ぜひ、一度はご覧頂きたい。

 

詳細は高麗山聖天院公式ホームページで

shoudenin.jp

令和三年 年頭の辞 今一度、写真家として生き抜く覚悟!

 

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シリース amaneより

アシスタント時代から数えると、早くも40年になろうとする職業カメラマン生活。

この間、様々な紆余曲折があったものの、何とか今日までたどり着くことができました。

 

これはひとえに、これまで僕に携わってくださった方々のお陰と、心より感謝申し上げます。

 

にも関わらず、この10年あまりは、鬱、引きこもりを繰り返し、大切なクライアントさんの信頼・信用をことごとく失ってしまい、僕に声をかけてくださった本当に多くの方々に御迷惑をおかけいたしましたこと、改めてお詫びいたします。

当初は皆さん心配してくださるものの、それが徐々に失意となり、やがては失望・断絶という経緯を辿ることが常でした。

 

更にこの一年は、新型コロナウイルス感染症が席巻、ほそぼそと繋がっていたイベント撮影すら、中止となる有様になお、追い打ちをかけるように、昨夏には最愛の母を亡くしたことが引き金となり、再び気力の完全喪失、暗い穴蔵の片隅へと一人こもってしまいました。

 

その結果、せっかく大切に撮り進めていた冒頭写真の「amane」シリーズも頓挫、毎回全身全霊で撮影に臨んでくれたモデルさんに対して、言い尽くせないほどの失望感を与えてしまうことになりました。

この「amane」撮影プロジェクトは、奥武蔵の渓流や山を舞台にしたファンタジー作品として、カメラマンとモデルの双方が互いに表現者としてのイーブンな立場で、毎回話し合いと試行錯誤を繰り返しながら撮り進めてきたものです。

 

そんな大切に温めてきたプロジェクトを、一方的に頓挫させてしまうという行為。それは写真家として犯してはいけないこと。職業人としてとても恥ずべきことと、今は深く反省し、気付けばとても深い喪失感を味わっている自分がおりました。

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昨年11月、母の百か日を機会に、祭壇を片し、位牌を仏壇に収めることで、気持ちに幾分余裕も生まれ、心の中に少しづつ希望の光が輝き始めてまいりました。

 

そうなるとようやくカメラを持ち出して、写真を撮ろう!という気持ちが湧いてきたのです。まるでリハビリのように、僕は身近な被写体にレンズを向け、少しづつ写真を撮りはめました。

 

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12月に入り、フィールドへも撮影に行けるようになりました。


そこで写真を撮るということが、こんなにもワクワクし、血騒ぐことなのだと、およそ半年ぶりに実感しました。

僕にとって写真を撮ること、それは生きること、そのものなのだと、再び気付くことができたのです。

 

僕が誰からの依頼も受けず、純粋に撮りたい写真とは何かを、仕事も無く、空っぽの状態で考えた場合、やはりフィールドでの写真に尽きるのだと改めて思い起こすに至ったのです。

 

人も自然も、同じスタンスで撮ること。目に見えない何かを写し込みたい、魂が揺さぶられる、何かを。

 

もう少し具体的に言えば、その何かとは、人や自然からほとばしる、Energy、Elos、そしてSpiritなのだと、思い至ることができるのです。

 

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これまで人に対して、繰り返し幾度も、何人も傷つけてきた僕が、性懲りもなく、再び人を撮りたいなどと、とてもおこがましいことなのは重々承知の上、それでもなお、僕は撮りたいと思う被写体に対して、恥も外聞も無く(失うものの大半を失ってしまった今だからこそ)撮影するでしょう。


それが僕にとっての生きるということだから。

 

天から与えられたこの命、あと何年持つかわからないけれど、命尽きるまで、命全うするまで、僕は表現者として、写真家として、写真を撮り続ける覚悟です。

 

そのためには、もう、何ものからも逃げたり、隠れたり、投げ出したり、けっしてしないと、前に向かうと、心に決めたのです。

 

                     令和三年元旦  新逹也

 

高麗山聖天院大晦日のご来光

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高麗山聖天院大晦日のご来光
令和2年、大晦日の日の出は、
自宅から徒歩3分の聖天院本堂から。
ここからの眺めはとても素晴らしいです。
東京スカイツリーと富士山のどちらも望むことができ、ふるさと・高麗郷を一望するには最高のビューポイントだなぁと。
開門前ながら特別に許可を得ている身としては、
ほんとうにありがたい限りです。
今年は様々なものを失った年でした。
物理的にも、精神的にも・・・
悲しみ、嘆き、喪失感・・・
けれど、反面、そういう体験が新たな気付きともなった年でした。
それらがそのまま自身の表現世界への反動ともなり、今は、以前にも増して創作意欲が湧き上がっているのです。60過ぎてなお、自分に伸びしろを感じているのですから、全身全霊で臨んだなら、とてつもない力を発揮するものなのだと、、、確かにそう感じる今日このごろなのです。
今年、僕と関わってくださった、数少ない皆さん。
本当にありがとう。
心から感謝いたします。
そして、皆さんの前途が洋々でありますよう、祈っています。
来年は僕自身、もう一歩先を目指す所存です。
どうぞ、ご自愛くださいますように。
では、皆さん、今一度、
ありがとう😀😍😊

名栗川源流を行く

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名栗川源流

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有間川の大滝
飯能市の名栗川(入間川)上流の結氷です。
このところの寒波の影響で例年より進行が早そうです。
年があけると雪が付着していることが多く、
まっさらな氷のみというのは美しさもひとしおです。
一つ一つの塊がいろんな顔にも見えて、眺めていて飽きません。
撮影地:名栗川支流・有間川、標高500m

富士山麓周遊

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山中湖畔
喪が開けたことだし、たまにはどこか出かけようってことで、
カミさんと二人、富士山麓周遊に行って来た。
どうせなら母ちゃんも連れて行こうって事になり、
遺影も一緒に連れてった。
20年間リウマチで苦しんだ母ちゃん。
出かけるといえば、病院と買い物くらい。
せめて送り迎えの車中、
少しでも周りの景色を見てほしいものだから、
わざと遠回りしたりして。。。
富士山を目の前に、カミさんと二人して、
「元気なときに連れてきてあげたかったねぇ」
ってしみじみ。
母を称える歌はいろいろあれど、
どれもいいけれど・・・
やっぱり、
自分の心に一番染み入る歌は
窪田聡作詞・作曲の「かあさんの歌」だろうか
毎冬、あかぎれでガサガサの手を冷たい井戸水に浸しながら洗い物をする姿、
昼間、工場に出てから夕方、畑に鍬を打ち下ろす姿、
辛いこともいっぱいあっただろうけれど、
いつも気丈で、笑顔を絶やさなかった・・・
だから、思い出すのは、楽しかったこと、
一緒に笑いあった、たくさんの時間だと、今は実感!
『ありがとう』