明治の肖像
明治32年(1899年)阿諏訪(現毛呂山町)生まれ
父親が天性の山師で、祖母が生まれて間も無く、
北海道へ金鉱を求めて野垂れ死。
(私の山師的要因は曽祖父譲りのきらいがあるかも)
やむなく祖母は3才で高麗の親戚にあずけられることに。
そこでの暮らしは幼子にとっては、それはそれは厳しいものだったと聞いている。
子守、水汲み、風呂焚き、洗濯、繭取り・・・
まるで使用人ごとくの扱い。
親戚の実子は実業学校(旧制中学)を出たにも関わらず、
あづけ子の祖母は尋常小学校さへままならない日々だった。
それでも祖母は腐らず一生懸命生きた。。。。
18才で私の祖父と知り合い、
同郷とはいえ、当時では珍しかろう恋愛結婚だという。
やがて9人の子を産み、7人が育てあげた。
紆余曲折、波乱に満ちた人生だったろう。
けれど、多くの人々に愛され、頼りにされ、
幾多の困難を乗り越えた人生だったとはいえ、
記憶の中の祖母は幸せな生涯だった。
特に晩年になって二度の骨折手術は印象深い。
股関節、大腿骨と、致命的な部位だったが、
それでもその都度、厳しいリハビリにも耐え、
再び歩き始めた姿は忘れられない。
2000年、6月13日、永眠。
その前年、100才を迎えた祖母に、
数奇なご縁からネイティブインディアンの活動家、
デニス・バンクス氏が訪ねてくれた。
伝統的な歌とドラムを祖母に披露、
氏があと2年で、3世紀に渡って生きることになるね。
と言ってくれたことが忘れられない。
※2点めの祖母と愛犬のカットは
「おんな 立ち止まらない女性たち 1945-2010」
(朝日新聞出版・2010年刊)にも収められている。
「高麗の臥竜松 こまのがりょうまつ(黒松)」埼玉県日高市 推定樹齢400年
臥竜松とは、龍がまるで伏せているような姿に見えるところからその名がついた。
拙宅の主、守り神として庭の中央に鎮座している。
推定400年の根拠は、
1899年(明治32年)生まれの祖母が18歳でこの家に嫁いできたときに
樹齢300年経っていると曽祖母から伝えられたことに由来する。
それからすでに100年の歳月が流れており、故に400年と推測している次第。
今ひとつ、拙宅の墓地に現存する最も古い墓石の元号も400年ほど前のもの。
当時、自宅のあたりには前の記事で紹介した聖天院の坊があったらしい。
その坊の名は梅仙坊(梅の仙人か・・・)
確かに暮石の戒名にも「梅」の文字が使われている。
ちなみに拙宅の屋号は「梅本」
この辺り、未だに屋号で呼び合う習慣が残っている。
僕の苗字『新(あたらし)は1300年あまり前、
この周辺に移り住んだ高句麗からの渡来人ゆかりの苗字と言われている。
何れにしても400年前の暮石の施主名にもしっかり新何某と刻印されている・・・
さて、推定樹齢400年といえば氏神である高麗神社境内のエドヒガンザクラ、
高麗家住宅脇のシダレザクラと同時期のものと言える。
この松、かれこれ20年余り、自分で手入れしている。
とは言っても愚図な者故、したりしなかったり・・・
おかげでだいぶ小枝を枯らしたりもしているのだが、
主幹はすこぶる元気にみえる。
実は今年も未だ芽かきをし損じている。
早くも6月。まぁなんとかなるだろう。
祖母は足掛け3世紀の生存を目前に2000年6月、
101歳の天寿を全うした。
最期までかくしゃくとした人だった。
「DESTINY 鎌倉ものがたり」を観てきました
「DESTINY 鎌倉ものがたり」妻と観てきました。
先年来の予告編を見てからずっと楽しみにしていた映画です。
(C)2017「DESTINY 鎌倉ものがたり」製作委員会 DESTINY 鎌倉ものがたり : 場面カット - 映画.com
黄泉の国から愛する妻を連れ戻す!
その結末もさることながら、魔ものや妖怪、幽霊など、
人間界に寄り添った存在が、
ともすれば感覚として希薄になりがちな現代において、
改めて彷彿させてくれる場面が多々あり、
本来、目に見えない存在との折り合いをつけながら生きてきた、
私たち日本人の日常的原初を顧みるひとつの機会となりました。
あれから1年
末弟が旅立ってから早くも1年。その翌日、わが家に居着いた子猫が、見事に成長しました。昼でも光る目は、怪しい妖気を発しているようです。
生後ひと月あまりとおぼしき子猫が保護され、縁あってうちにやってきた日、その時点ではまだ弟の最期を誰も知らないままでした。子猫は野良だったにもかかわらず、直ぐに母の膝で丸くなり、安心したようにくつろぐのでした。不思議な猫もいたものだと思いつつ、1年半前に行方知れずになってしまったトラ猫と比べるのでした。
末弟の孤独死を知ったのはその翌日のこと。しばらくはその事実を母に告げることができませんでした。思えばどれほど子猫が死の悲しみを和らげてくれたことでしょう。
今でも私たち家族は末弟が自分の身代わりとして、母のために遣いによこしたのだと信じているのです。