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奥武蔵に生きる写真家の表現と日常

元旦の山行・奥秩父・白泰山

一年の計を模索すべく、そして、未来を目指し、一歩でも、半歩でも前に進むべく、荒川源流部を望む山へ向かった。

 

例年の元旦は氏神様(高麗神社)へ氏子として参拝に出向くのが習わしとなっているが、今年はカミさんにお願いした。

 

ウツに悩まされて、何が辛いかというと、やはり気力が湧かないこと。全てに於いてやる気が出ない。

 

昨年12月からようやく病院に通い始め、今は薬(精神安定剤などなど)を飲んでいるので気力がどん底まで落ち込むことは無くなった。それでも以前のような「よし!やるぞ!」といった覇気にはほど遠い気がする。こんな状態で果たして山へ登れるのだろうか・・・

 

目標の山は奥秩父・白泰山(1794m)いや、体力的に可能なら、その先まで行きたい・・・

 

栃本広場から初日の出を拝む。山間部のため日の出は遅い。

 

体調を壊してからは勿論、この一年間というもの、事務所に張り付いていたため、山らしい山へは全く登らなかった。唯一、雪の奥武蔵を歩いた程度か。勿論登るためのトレーニングなど一切していない。時々カミさんと生活圏内の公園を散策するだけだ。それも写真を撮りながらのんびり歩くので、ウオーキングというほどのものでもない。

あとは、朝の犬との散歩程度か・・・それも今朝のように未明から出かけることが多くなった最近は、家人に任せっきりだ。

 

秩父の名峰、武甲山。全山石灰岩の山。削りに削られ、元の勇姿とはまったく別な形となってしまったが、三角錐のピークは名峰の名に恥じないりりしさだ。

 

欲を出して今回はペンタ67とレンズ3本まで持って来た。それと相応の三脚。デジカメは迷ったあげく、標準ズームのみとしたが、それでも水や食糧等含めると総重量は17Kgあまりとなった。以前だったら難なく背負える重さだが、今朝はやけにザックが肩に食い込んでくる。

 

若い頃、山へ登るといつも思ったものだ。何でこんなところへ来てしまったのだろう・・・と。けれど、淡々と登ることを覚え、ピークにこだわらなくなってからはそんな思いは消えていた。

今朝は久しぶりに、そんな感情が蘇ってきた。

「なんでこんなしんどい思いをしてまで、山へ登らなければならないのか・・・」

 

時折吹き抜ける山の風。この音と体感に、山へ頻りに登っていた頃の感覚が徐々に体内に染み渡って来るような気がする。

 

栃本から十文字峠を結ぶ峠道は古くから信州と武州を結ぶ道として利用されていた。

 

麓の栃本宿には立派な関所があった。それ故、この道には様々なエピソードがあるに違いない。悲しくもせつない話しが膨らめて残されている。

 

東京大学の演習林となっている中腹の尾根筋の森はかつて営林署の手により皆伐された。そこを越えなければ、奥秩父の雰囲気は現れない。

 

健脚ならほどなく・・・と言いたいところだが、ようやく一里観音までたどり着く。観音像は石に掘られたもので、質素ながら優しい表情。この観音像にどれだけ多くの人が旅の無事と願いを込めたことだろう。思わず手を合わせない訳には行かない。

 

所々残る雪の中を歩くと、少しずつ奥秩父らしい樹木が現れてくる。伐採を免れたミズナラの古木は、周囲の二次林とは明らかに違う威風を見せていた。

やがてブナが目に付くようになる。ミズナラ、ダケカンバ、ブナ・・・落葉樹帯を抜けると、やがて針葉樹帯へ。コメツガ、シラビソへと主役の座が変わる。

 

秩父山地緑の回廊・・・何やら見覚えのある名称だが、「荒川源流・森の回廊」作品制作・・・忘れた訳じゃない。それにしてもシカの糞は度々見かけるが、獣の姿は気がつかぬ。どこかでジッと様子をうかがっているに違いない。

 

ゼイゼイ言いながら、少し歩いては撮影しながらの山行は、一向に距離がはかどらない。このままでは、白泰山にたどり着く前に日が傾いてしまう。やむなくザックを山道脇にデポし、カメラ一つ持って山頂を目指す。

 

白泰山へは尾根道からそれ、ピークに向かうのだが、この先は踏み跡もなく、ウサギの足跡と時折見かける赤テープを目安に登る。

白泰山山頂は全く見通しの効かない地味な山頂だが、今回で3回目の再訪だ。踏み跡が無いところを見ると、どうやら2009年の初登頂の栄誉を戴いたようだ。もっとも今日は誰にも会っていないので、さもありなんか。

 

しかし、木漏れ日の間からは荒川源流部の山・・・木賊山、甲武信岳三宝山が眼前に見えた。これを見るためにここまでやってきたのだ。

 

山頂にたどり着いた達成感と、源流の山々の姿を望み、また少し気力が涌いてきた。

山頂からの下山は獣道を下った。どう歩いても何れは十文字峠へと続く巻道へぶつかることは判っていたので気にすることはない。

 

しかし、獣の背は低い。途中から笹藪コギとなる。まるでトトロの森へ入って行く気分。

途中、役割を全うしたダケカンバの倒木に出合う。根本のウロを覗くと向こう側が透けて見えた。

倒木の上は明るく開ける。中津川を隔てた対岸に奥秩父の秀峰、両神山を望むことができた。ここから差し込む日差しが、次の命を育む。やがて倒木は骸となって次の命の糧となる。

 

太古の時代から、皆そうやって命を引き継いできた。我々人間もけして例外ではないのだ。

 

帰路は元来た道をそのまま下山し、栃本へと向かった。尾根が伐採され開けたところ(朝、武甲山を撮影した場所)から荒川の支流、中津川とそこをせき止めた滝沢ダムが望める。

 

昨日の大晦日はこの眼下を俳諧していたのだ。今日はそれを上から望む。中津川は美しい渓谷として知られていた。ダムに消えた集落もある。渓谷という自然の育んだ天然美と、人が生活の中で育んだ民俗文化共々、このダムの中に沈んでしまった。

 

下山した栃本広場は天文愛好家には良く知られた場所だ。駐車場には5〜6本の天体望遠鏡がセットされ、出番を待っていた。片隅にテントを張っているもののいる。今夜もオリオン座に代表される冬の銀河が美しく望めそうだ。

 

秩父の夜空もご多分に漏れず以前に比べるとかなり明るくなったに違いない。何しろ秩父市内の美の山公園が夜景100選に選ばれているというのだから、納得も行く。

 

駐車場にたどり着いた僕は、そうした天文愛好家の気持ちをなるべく害さないよう、静かにザックをおろし、エンジンを掛け、ライトを点灯しないまま、ゆっくりと広場を後にした。