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写真家の日常と表現

心の病と共に・水辺の鳥たちに癒される

ずいぶんと久しぶりの更新となる。

 

長い間、心の病で苦しんでいる。病院に行く気力さえ湧かず、行かなければ・・・行かなければ・・・

そう思ってから2ヶ月が瞬く間に過ぎ、先ずは、アポを取るために電話をしよう・・・と思ってから、ひと月あまり、ようやくのこと先日診察に行くことができた。

 

そして、昨日、問診と血液、尿検査、及び脳波検査の結果、疲労性鬱病と診断された。

安静状態でもアルファー波がほとんど出ておらず、その他の緊張感を表す波長が常人の1.5倍も発生。いわば戦場の兵士のようなものか、あるいは、チーターに追われるインパラの心境???

 

ともかく、これでは、精神が疲れてしまうのは当たり前。こんな状態をおそらく何年も持続させていたに違いないのだから・・・過労死燃え尽き症候群とも照合。いつ自殺しても、あるいは、突発的に死んでもおかしくないらしい。

 

ただ、救いなのは、循環器系だ。血液、尿検査とも良好。動脈の流れもなめらかで、血液さらさらだという。いったい寝ているのか、起きているのかさえ判らないほど不規則な睡眠、まともな食事を摂らないことも多く、こんな生活続けていたら、腎臓も肝臓も悲鳴を上げているだろうなと、内心覚悟していたことだったので、驚き半分、嬉しさ半分。きっと丈夫な肉体を授けて貰ったのだ。大切にしなければ。

 

 

さて、詳細は、おいおい書くとして、先日、リハビリになるのではということで、友人の写真家に誘われ、県内のコハクチョウ渡来地に撮影に行ってきた。

コハクチョウに逢うのはおよそ5年ぶりのこと。

 

仕事の写真を離れ、作品作りとも関係なく、自然界で写真を撮るのはとにかく楽しいものだ。(もちろん女性を撮ることも楽しいが、人にはやはり気を遣う)

そんな訳で、先ずは一昨日撮影したものをご紹介する。コハクチョウダイサギコサギオナガガモコガモオオバン・・・鳥が人の心を癒してくれる・・・

 

初冬ならではの朝もやが川面を覆っている。荘厳な夜明けのシンフォニーの始まりだ。

 

先に幾人かの方々が訪れていた。夜明けのシルエットはけしてご本人のプライバシーを損ねるものでは無いと思い、掲載。

 

やがて、川下から数羽のコハクチョウがやってきた。久しぶりに聞く羽音がかつて夢中になってハクチョウを追っていた頃を思い出す。

 

川沿いの雑木林に朝日が当たる。太陽の偉大さを思い知らされる瞬間だ。

 

次にコガモたちがやってきた。現在、ここの越冬地ではコガモの数が一番多い。

 

遅れてオナガガモたちが10数羽飛んできた。関東の越冬地ではもっとも当たり前に見かける冬鳥だが、どうやら今日、初めてこの地へやってきたらしい。若い雄が多いように見える。斥候としてやってきたのか・・・様子をうかがいながら、ハクチョウたちの群れへ近づいてきた。

 

オオバンの群れもいる。ざっと三十羽あまりか。こんなに群れたオオバンを見るのは初めてだ。ガンカモ類とはまた違った行動をするので、見ていて楽しくなる。コハクチョウが髙音を発したような鳴き声に幾度かだまされてしまった。これも長く野鳥から離れていたせいで、感覚が麻痺しているせいだろうか。

 

コガモの雌が川砂利の間からエサを探している。藻や水苔、小動物も食べるだろうか・・・

 

ダイサギ荒川水系で見られるようになったのはここ15年ぐらいのことだろうか。反対にもともと冬になると群れて行動していたコサギの数はめっきり減ってしまった。もっとも別な地域にはずいぶんいるらしいから、一概には言えないが、ダイサギやカワウが居着いていては、コサギの捕獲量はおのずと減るだろう。

それにしてもこのダイサギ、わずか10mくらいの距離でも人を警戒することなく、ただひたすらに魚を捕らえている。その捕獲率はかなり高く、八割方は堅いだろう。

 

ダイサギの次はコサギの登場だ。このコサギも人慣れしているようだ。人と鳥との距離感はその時代で変化してきたと思うが、だんだん、距離感が近づいて来るのは悪くない。もっともヒグマやツキノワグマなどもお近づきなようで、諸手を挙げて喜んでばかりはいられない。

コサギダイサギよりも動きが機敏だ。その分、命中率は高く、九割を超える捕獲率ではないだろうか。ちゃんと調べた訳ではないので、間違っていたら訂正したいが、とにかくそれほどに確率高く魚を捕らえる。

 

オナガガモの雄がグループを作っている。若い雄たちのようだ。心なしか羽の艶も若々しいような気がする・・・

 

水面をかき分けるコハクチョウの足はかなり太く見える。しっかり、頑丈な足だ。サギの足がいかにも華奢に見えてしまう。滑空するときにはこの足で水上をかき分けて走る。その様は豪快だ。とても軽快で華麗とは言い難い。

 

今年から環境省の通達を受け、ここの越冬地でも公な餌付けはされなくなった。鳥インフルエンザに対する異常な反応だ。餌付けはハクチョウやカモたちの記憶に残り、次代へ引き継がれてきた。もはや、冬のガンカモたちにとって想定された行為ではないだろうか。それをいきなり打ち切ってしまうとは・・・あまりにも人間の身勝手な振る舞いではないか。そんなことより、欧米に遅れをとっている予防薬の製造を高めることの方が先決だろうに。金のかかることをしたがらず、いつも一番手薄で、弱いところから切り崩していくのが、役人や行政の体質だ。

 

今、鳥インフルエンザが人に感染、新型ウイルスが発生したら、どれほどの人が亡くなるだろう。僕も鬱になってから免疫力が低下しているに違いない。死ぬことは怖くはないが、生き残るのも、どうやら金のかかる時代のようだ。貨幣経済ほど不公平、不平等な制度は無い。いっそ、世界の貨幣経済を破綻させてしまってはいかがなものだろう。漠然とそんなことを考えている。

 

この越冬地に唯一定着しているFamilyだという。手前は母親だろう。奥のグレーがかった羽色が幼鳥だ。この夏、遙か極地(シベリア)で生まれ、巣立ち間もない幼い命が、群と共に数千キロの旅をしてようやくこの地へたどり着いたのだ。

ハクチョウは家族の絆が固い。仲間意識、社会性も伺える。観察しているととても擬人化しやすい鼓動パターンや仕草をする。コハクチョウの親子を見ながら、家族の絆を思い返す。

 

今僕は妻と二人の娘、そして母と共に暮らしている。

鬱病を抱えた人間にとって、家族の温かみほど救われることはない。

最近は畳の部屋で親子が川の字になって寝ている。高一と中二の娘たちはこんな父親を気に掛けてくれる。昨夜は中二の娘を腕枕して眠りについた。

 

ハクチョウの飛び立つ瞬間は華麗とは言えないが、飛び立ってしまうとやはり優雅だ。大空を自由に飛べること。そのことのみで、鳥は偉大だ。我々人間がいかに望もうとも達することのできない自由さだ。

Wataridoriという映画がある。鳥たちの姿に感動し、涙を禁じ得ないが、鳥とともに旅をした軽飛行機のパイロット、カメラマンにとって、鳥たちに近づけた喜びとともに、達しがたい鳥との距離感を感じたのではないかと、密かに僕は思っている。

 

鳥も、魚も、虫も・・・そしてひとしずくの朝露さえも、偉大なものなのだ。

 

Grate Nature 

 

通院している病院の院長曰く、

 

人は、風と、太陽の光と、緑がなければ、鬱になるものなのです。

 

これからは、機会を作って鳥たちに逢いに出かけるとしよう。

 

 

 

*久しぶりの野鳥撮影はとても楽しいものに感じた。反面、いろいろな意味で鈍っている自分の感覚も感じさせられた。次回はもっと素敵な出合を楽しみにしよう。

それにしても、かつてメカニカルカメラを愛用、マニュアルフォーカス、マニュアル露出で野鳥を追っていたが、今回AF、AI、デジタルを使ってみて、あの頃ピントを合わせるだけで必死だった撮影が造作もなくできてしまうのに驚きとあっけなさを感じた。それだけに一層のクオリティが求められるだろう。どうやら過去のフィルムは粗方破棄される運命かも知れない。

 

おっと、あまり本気になって凝ってしまうと、それがまたストレスとなり、鬱の元とも限らなくなってしまうぞ。野鳥写真は、ほどほどに。楽しい趣味として撮りましょう。(^。^)

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