atarashism@blog

奥武蔵に生きる写真家の表現と日常

命の橋渡し

ガジュマルの古木にはキジムナーという妖怪が棲むという・・・

Canon F1 FD24mm F2.8 NEOPAN ACROS

クワズイモ Canon F1 NewFD28mm F2 NEOPAN ACROS

連綿と受け継がれてきた命の織布(連鎖・鎖よりもこちらのほうがニュアンスとしてしっくりくる)。私たちの命は絶えずNEXTへの橋渡しとしての役割を担っている。今、生きていること---それは、幾多の祖霊たちと共に生きること。私たちの命の中に、祖霊も生きる。

この場合の祖霊とは、直接的には祖先の霊を指すが、広義でいうと、目に見えない自然界の存在、言わば宇宙そのものの力のこと。つまり私たちの喜びは宇宙の喜び。私たちの悲しみは宇宙の悲しみ---とも捉えることができる。

 

ならば、私たちが願うこと---それは祖霊の願いと同じこと。未来への命の橋渡しとは、祖霊の願いを引き継ぐこと。そしてやがて、自らも祖霊となり、共に未来を生き続ける。

 

よく年配の方が、半ば投げやりに、

「この先いったいどうなることやら・・・まぁ、わたしゃ、生きちゃいないから、知ったこっちゃ、ないがね」

などと無責任なことを言うが、まったく筋違いも甚だしい。

なぜなら未来を生きるのは、あなた自身であり、私そのものなのだから。

現在を生きる私たちの有り様と振る舞い、思いが、そのまま未来に繋がるのだから。

 

※こちらの記事も併せてご覧ください。

 

 


先の祖霊の話にも繋がるが、魂とは・・・

この宇宙に存在する物質全てが持ち合わせる感覚ではないだろうか。あくまで主観であるが。

つまり固有か、共有かはともかく、元素それぞれに魂が存在するとしたらどうだろう。

 

その魂の集合体が、さらに一つの魂となって、さらに繋がってゆく。私たちの体中の細胞一つ一つが魂を持ち、私たちの肉体はその魂の集合体。それぞれの魂は情報交換を繰り返しながら、個性を育てていく。その過程で、より強権思想を抱いたり、より温厚となったり。

 

また、私たちの体に触れあう、大気にも魂があり、飲むもの・食べるもの・手に触れるもの全てに魂が存在し、絶えず融合・離散を繰り返しているとしたら・・・

私たちが固有の肉体と思っているものと、外部との境界は、魂のレベルでは無いに等しい。

さらに、魂と魂の伝達は、瞬時になされる。いかなる距離にもとらわれず、時間差というものが無い。

地球のこっちとあっちで、瞬時に情報を共有できる。

いや、宇宙全体でだ。

 

命とは、魂の集合体。そして魂は永遠に浮遊する。幾多の記憶を引き継ぎながら。

 

この記事はこちらにコメントしたものを転載・修筆したものです

 


写真家は有る意味、空想家でもある。科学者や研究者がおいそれと口にできないようなことも平気で書いてしまう。映像をイメージとして捉えるように、文章もイメージとして表現することが許されると心得る。

そんなわけで、この記事に限らず、このBlogに書かれている言葉は全て僕の主観だ。客観性を求めない訳ではないが、裏付けがないままの直感的表現も少なくない。

したがって、表現等間違っていたらどうぞご容赦願いたい。